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私個人の経験や価値観での評価や感想、考えや思いにてリポートしています。見方によると、偏った意見になっているかもしれません。「!?」と、思われた時には再度、別ルートで同じ様な物事/事柄をお調べ下さい。その方が、全体を見渡し考える事が出来るからです。 また、ここに驚喜された事により、より一層「何かに興味」を持って頂けると嬉しく思います。 *まずは軽い気持ちでお読み下さい。
 

3.モノ創り 

(le 19 fev 2010)

銅版画の歴史は長い。
西暦1400年半ばから銅版での凹版が登場しだし、1500年以降に発展して行ったといわれる。
そして現在もそんなに大きく違わない作り方で製作が行われている。
なので、とてもアナログで単純明快な技法である。

単純だからこそ、単純な道具を自ら作成し作品へ恩恵を与える事が出来るのだ。
また、道具を自作しそれを使うのも楽しい事である。
道具が自作出来るため他者との違いも生む事が出来る。これは作家にとっては有り難い事だ。
それに、工作の楽しみと道具の応用やメンテナンスにも繋がるので悪い事ではない。
なので、銅版画用だけでは無く、色々と道具を作っている。
現在もアトリエのインテリアを考え雰囲気を少しずつ変えている。
(これは次回の話に)
さて、今回だが。何を作ったのか。
それは「テクスチュール」用の革ローラーだ。
▼作業風景▲ ローラー ◆こちらが自作したもの→◆作業風景
これはグラウンドと呼ばれる固形ニスを熱で溶かし、それを伸ばして銅版に塗り付ける道具である。
このローラーは道具として勿論販売もされている。しかし自分の欲しいサイズでは無かった。
そういった要因から自作する事に至った。
丁度パリの友人が帰国中だったので今作るのが良いタイミングだったのだ。

革の素材は友人の持って来た「革ジャケット」良い感じに柔らかくなっている。それをカットし、自身で革をなめす。
特に、ローラーに使用するのでつなぎ目をしっかりと処理する事に心がける。

なかなか良い出来で可愛らしく出来上がった。
ちなみに、ローラーを置いている銀色の台。
これも自作のウォーマーである。
厚みのある鉄板をステンレスで包み込み、熱処理出来る様になっている。
しかもステンを使用しているのでさびる心配も無い。
既製品ではサイズが選べないため、自身のアトリエぴったりののが欲しかった。
だからこそ作ったのだ。

性格的に、物造りが好きなのだ。
何も無い物から形を造り上げる楽しさを知ってしまったからだろうか?
完成した快感は常に気持ちがよい。
それは大好きな旅で各地をまわり、
達成して行く事に近いのかもしれない感覚だ。
(バックパッカーなのでそう思える)

 

2.北陸レポ_世界遺産「合掌造」 (2009/05/15)

 合唱造。言わずと知れた世界文化遺産だ。
ご存知の通り、両手を合わせた形に似た屋根の作りからこう呼ばれる様になっている。分かりやすく言うと、二等辺三角形の屋根で、通常の日本家屋と比べ異様に辺の角度が小さい。
合唱造は集落でなりたち、いくつかの場所に点在している。見た目はほぼ変わらないが、その村ごとに特徴的な地産業があった。
現在は完全に廃れ、人が住み、観光で成り立っていだけである。
 
  今回僕が訪れたのは五箇山に在る集落2村と最も有名な白川の集落1村。で、いずれもユネスコ登録されている。 そもそも、合唱造に興味をもったのは平成10年頃に「旅行主任者」の勉強をしていた時の事。世界中の観光地や世界遺産の勉強をしていた。あの時は、グラナダのアルハンブラ宮殿。ジブラルタル海峡やボスポラス海峡。。。等、今なら簡単に言えるが、なかなか覚えられなかった地名ばかり。その分、頭に入り出してからはいつか行きたいと願ったりもしていた。白川郷や五箇山もその一つである。そして今回、上記で例えるなら、ボスポラス以外全て行く事が出来た。嬉しい限りである。。。と、思いつつも「タクラマカン砂漠へ行きたい」「ギアナ高地へ行きたい」「コスタリカへ〜」等、欲求の泉は湧き出るばかり。

 五箇山へ着いたのが21時がまわった頃。毎度の様に寝れる(テント張り)所を探す。運良く道の駅(平)の看板が有ったので、集落から少し外れるがそこへ向かった。
道の駅は予想と違い、キャンピィングカーを始め、四駆、乗用車が既に数台。お泊まりモード全快だ。テントを張る身として芝生を探したが見当たらず。ビューポイントの空きスペースしか寝れる場所が無く、そこで陣取る事にした。前日のふかふか芝生に比べ、コンクリの床は少し体を冷やした。
(写真1) キャンプ

  朝。今回の旅初めての晴天に恵まれ、山神の微笑みを貰う事が出来た。ありがとう。
荷を纏め、パンを食べ、いざ出発。まずは五箇山の相倉合掌造集落へ。入村制限が有り、宿泊者以外は朝の8時からで無いと入る事が出来ない。丁度8時すぎ。数えるほどしか観光客がいなかった。その中、白人が目立つ。流石世界遺産。(写真2)
 初めて生で観る合掌造。青空なのか、花が咲き乱れ。奥に見える山脈にはまだまだ雪景色が有り、幼少の頃に観たTVの日本昔話の様な感覚におちいった。 なるほど。素晴らしい。懐かしい。嬉しい。が交互にこみ上げてくる。  感動と興奮をしっかり味わってから、存分に観て、色々と確認をした。 実際、ココはどうなっているのだろう?と。 いつもの探究心が出て来た。そう、感情だけでは表面だけしか観れないからだ。 他の集落同様、人が住み、生活をしている。  話にも聞いた事が有ると思うが、この村は「国管理のもと」成り立っている。柱一つの修理でも国の許可が必要だと、聞いた事がある人は多いはず。 その通り、全てが必要以上に管理されている。国として、日本国内に在る数少ない世界遺産を保護する観点は立派でうなずけるが、人間味の情緒が欠けて感じてくる。

 例えば、村の道。奇麗に整備され過ぎ、まるでテーマパークと変わらない。住民も客商売丸出しに見えるのが残念。造られた不自然の村。。。といった感じがどうしても拭えない。
 世界遺産は国内がい問わず、良く行く機会があった。
比較するのは良い考えだと思わないが、諸外国の「街型世界遺産」には生活と匂いがあった。だからこそ、訪れた人間は体でその空間を味わえたのだ。
 ただただ、今回は周りの風景の山や草花たちがこの「もやっと」を和らげてくれた。

  2つ目の集落「菅沼合掌造集落」へ。
水田から見る風景は情緒そのもので美しく、土産屋の通りを歩くと一気にかき消される。
合唱造をそのまま生かした施設が主で、トイレ、土産や、資料館等になっている。
 資料館へ入り、少し勉強をした。
この村では「塩硝」を造っていたそうで、明治半ばまで続いたそうた。その後無煙火薬がどうのこうの〜。火薬の技術は大阪の堺にて、職人から学び持ち帰ったそうだ。江戸期でも火薬は危険物扱いのため、銃器は城近くには置くが、火薬に限り街から極力外した。なるほど、土や草木の都合がココが良かったらしい。
 また、生糸の生産もしており、一時期は大繁栄をもたらした。 資料館のおばちゃんと話をした。
何となく、気の悪い感じがする。話すの嫌いか、説明の知識が無いのか、、、なんだろう。
Q「世界遺産になる前はいったい何が産業でしたか?」
A「土産用等の細工を造っていた」
Q「世界遺産になる前はこの村はどんな感じでしたか?」
A「静か」
Q「それでも世界遺産になる前でも’合掌集落’は有名だったでしょう?」
A「ほとんどが白川郷へ行く。ここはついでに世界遺産になった」
と、会話に覇気が無く。会話しずらく。やめた。

 観て来た感じここも、テーマパークの村だった。
規模は相倉に比べ半分ぐらいの大きさだ。  さぁ、メインの白川郷。
道路は大渋滞と、村民を遥かに上回る観光客。
行くのを辞め、帰ろうかと思うほどだったが、訪れる事が出来良かった。
流石有名どころ。規模の大きく。完全な観光村と化している。沢山の合掌造の土産屋/飲食店。店をしていない多くの民家は入場料300円を取り、どんどん人を家に迎え入れている。
 ここまで来ると面白い。それにこの賑やかさは「合掌造の王者」を思わす。
白川はずっとの昔からの観光名所。もう余裕すら感じる。他とは別物だ。
ここは『合掌テーマパークin SHIRAKAWA』ってな感じで散歩をすると面白いかもしれない。(写真3)
 と、勝手な分析はさておき、
やはり大自然の中に在るこれらの里は全体を見渡し、鑑賞すると美しい光景であり、
「心の故郷」の感じは有る。

機会が有れば、是非訪れた見ては??
■これらの集落は富山県に在り、場所で言うと比較的石川県よりで、飛騨高山の近くに在る。■

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1.北陸レポ_金沢21世紀美術館 (2009/05/10)

このGWに周知した通り、北陸へ行って来た。
今回しばらくそのレポートをしよう。
『流石地方の道!』面白い建物や看板がいくつか発見出来た。
これらは後半に紹介していこう。

大阪市内から金沢までは「鉄道サンダーバード」で行く事が出来る。一度、この鉄道で富山まで行った事がある。そして今回はバイクで一般道のみで行く事に。 約12時間で大阪市内から福井と石川県の県境に行く事が出来た。なぜこのような時間がかかったかと言うと、観光して行った為である。
予想以上に遠かったので、休憩を含めた観光をしたので思いの外時間がかかったのだ。 一瞬、『金沢は無理か?』と弱気になったが、どうしても金沢に行かなくてはならない理由があった。 『前田利家に会いに行くのではなく、金沢21世紀美術館へ行きたい』ただコレだけの理由で、前日の出発まで悩んだが、朝になり荷を纏め出発した。

金沢は思っていた以上に大きな街で、田舎の地方都市とは到底思えない規模だった。ただ、都市地の面積だけの問題だろう。 とはいえ、地方都市である。にも関わらず、なぜこの美術館は魅力が有るのだろう。それに、全国的にも知名度が高い。 美術館でピンっと来ない人には、北海道の旭山動物園のような感じだと言えば解りやすいと思う。

場所は金沢城と兼六園の道路向かいに在り、観光客を含めて立地条件が良い。
GW中なので施設の敷地内の庭にてマルシェ的なイベントしていた。
小ブースのテントやピアノの演奏、ミニSL等が美術館を囲む形で行われていた。
「囲む」そう、美術館は上空から見たら中心が丸く出来ているのだ。 (詳しくはこちら)

館内、GWだけ有り大賑わいだった。かなりの長蛇の列を並ぶ。チケットを購入時に何所かの報道系のカメラに撮られてしまった。せっかくなので観てみたかった。。。  館内には大小のブース(施設)が有り、有料のブースが2つ。企画展_有料が1ブース。その他の小さなブースは館内の中心を囲む様に設置されたおり、全て無料で見てる様になっている。  更に、造りがガラス張り(写真1)だけあり、歩いているだけで各種の作品を見渡す事が出来るのだ。

なるほど、これは新しい。雰囲気は「パリのポンピドウー センター」が近いのかもしれない。 
また、面白い事に、誰かの作品?常設?か解らないが、”チンギス・ハーン”の兜の様な乗り物が館内を走り回っている。運転している人間を見た所、一般客が乗っている。こんなに込み合っているのに、乗り回していた。多分、館内をウネリ動く事がアートであり表現法なのだろう。(写真2)
施設の中央部に中庭が有り、美術館を形で言えば「寛永通宝」のように、中庭が四角く吹きさらしの状態である。この部分に、21世紀美術館で最も有名なオブジェ?作品が在る。 私も、この作品が一番見たかったものだ。どういうものかと言うと、プール(写真3)である。写真を良く見て欲しい。上から底を見ると普通のプールっぽいが、底は空間が出来ており、上部を見渡す事が出来る。普通のプールで、目を開けていれば良いだけの事だが、この発想が自由であり、表現力がユニーク。しかも体感出来る。魅力有る作品だ。
他に色々と作品がある。外国人作家が目立つ。ふと感じたのが、去年訪れた『直島』を思い出した。そう、この雰囲気。確かに同じ作家の作品も見る事が出来た。

この二つの場所、直島/21世紀美術館に共通して言える事は、自由な発想、他の美術館ではしない事。新しい試み。が十分に活かされている。
だからこそ、館内に入ると新鮮で奇抜で刺激的で面白い印象を貰う事が出来る。
他の美術館と比べ、考えると東京の美術館は規模が大きく、日本国の中心ににあう作品数や造りが立派である。 大阪、、、建物、品数もそれなりに立派なのに 今ひとつ力ない気がする。アートの空間なのに、施設運営がアートで無く、事務的すぎるからかもしれない。建物は良いが、場所に面白みが欠けるのはこの部分なのだろう。 大阪、頑張ってくれ。

〜の、様に「金沢21世紀美術館」は体で楽しめる美術館である。
機会が有れば何度でも行きたい場所だ。皆も金沢へ行く機会が有れば、是非遊びに行って欲しい。

 

 
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